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隕石衝突とキューバ葉巻

by 葉々那 良

数ある葉巻の中でもキューバ産の味と香りは格別である。もちろん、キューバ以外にもドミニカ、ジャマイカ、ヴェネズエラ、ホンデュラス、ニカラグア、エクアドル、メキシコ、フィリピン等々素晴らしい葉巻の産地があり、それぞれに味と香りに特徴があって甲乙つけ難い。だが、人により好みは異なるものの、キューバ産の豊かな味と香りは格別だ。その秘密は何か?キューバ人に質問すると「キューバさ」と陽気な答が返ってくるそうだ。

葉巻の味と香りを決めるものを時間の順に列挙すれば、葉、乾燥・発酵・熟成過程、ブレンディング、ローリング、保管状態、喫煙環境ということになるだろう。したがって、乾燥・発酵・熟成過程以降に大きな差がないとすれば、キューバ葉巻の味と香りの秘密は葉にあることになる。葉を決定するものは、種、土壌、気候といったところだろう。しかし、同じ種を用いてもキューバ産の味と香りは再現できないと言われているし、キューバと他の産地の気候は似通っている。以上を考慮すると、その秘密は、やはり土壌にあるということになりそうだ。では、キューバの土壌に秘められた特徴とは何だろうか・・・?
年末の掃除を終えた私は、カマチョコロージョ・トロのフルボディを楽しみながら、J.L.パウウェル著「白亜紀に夜がくる」(青土社)を読んでいた。「6500万年前にアンモナイトや恐竜を絶滅させ、白亜紀を終わらせたのは巨大隕石衝突であった」とするアルヴァレス父子の衝撃的な仮説(たわごと)が定説となるまでの知的興奮に満ちた物語である。そして関連書の松井孝典著「再現!巨大隕石衝突」(岩波書店)に移ったのは、カマチョの余韻にひたりつつパルタガス・コロナに火をつけたときである。パルタガスの味と香りを楽しみながら「再現!巨大隕石衝突」を読み進めているうちに、ある考えが閃いた。「キューバ葉巻の極上の味と香りをもたらしたのはこの巨大隕石衝突だったのではないか。」 カマチョの余韻とパルタガスの香りが思いつかせた「たわごと」を以下に記そう。

アルヴァレスらによれば、今から6500万年前に直径約10km(エベレスト山+富士山の高さに相当する)の巨大隕石が秒速20-70kmの速度で地球に衝突したという。その破壊的な効果が長期間にわたる地球規模の環境変化をもたらし、グロビゲリナ属の有孔虫、アンモナイト、多くの被子植物、そして地球上に1億6000万年ものあいだ君臨した恐竜を含む地球上の全生物種の76%を絶滅させた、というのである。

巨大隕石衝突の日

このときの様子をコンピューターによるシミュレーションは次のように描いている。 「この衝突で10の31乗エルグ(広島型原子爆弾70億個分相当)のエネルギーが放出され、ゼロ地点から1000km離れた地点の地表を数百メートルの高さまで波打たせるマグニチュード12-13の巨大地震が発生した。海面は瞬時に100mの高さまで上昇し、巨大津波となって地球の半分を覆った。ゼロ地点の温度は瞬時に数万度に上昇し、半径数千キロメートル以内のものを焼き尽くした。2000億トンを超える二酸化硫黄と水が生み出され、強い酸性雨となって地上に降り注いだ。約100km立方の岩石が掘り出され、100兆トンの隕石と岩石が気化して100kmの高さまで上昇し、火の玉となって地上に降り注ぎ、その一部は長期間大気に滞留して日光を遮断した。その結果、地球上のすべての光合成を停止させる暗黒の10年間-衝突の冬-が世界を覆った。巨大地震と巨大津波、そして灼熱と酸性雨の地獄を生き延びた生物種の多くも、この『衝突の冬』の間にエネルギー源を絶たれ、死滅した。」

この仮説は「小さな変化が徐々に積み重なって大きな変化となる」という地質学および古生物学のドグマに反するものであったため、物理学者の「たわごと」としか受け止めない専門家が大半であった(父ルイスは水素泡箱の開発で1968年度のノーベル物理学賞を受賞した有能な科学者であったが地質学にも古生物学にも素人であった)。この分野の有力な研究者のなかには猛烈に反論を続ける人たちもいた。しかし、アルヴァレス父子らはこれを一つずつ論駁し、有力な状況証拠を積み上げていった。そして、ついにメキシコのユカタン半島北部海岸沖に予想通りの大きさのクレーター(直径約200km)が発見されたのである。チチュルブ・クレーターと名づけられたこの円形構造が6500万年前に巨大な衝突によって形成されたものであることを裏付ける決定的証拠が見出されるに及び、たわごとは定説となった。その決定的な証拠とは、チチュルブの角礫岩内および遠隔地のK-T境界粘土層内の衝撃変性ジルコンである。ここで、K-T境界とは、地質層の白亜紀層(K)と第3紀層(T)との間にある厚さ1cmほどの赤っぽい粘土層のことをいう。K-T境界には、白亜紀を終わらせた巨大隕石衝突の爪跡が刻印されているのである。

アルヴァレス父子が巨大隕石衝突説を唱えるようになった発端は、北イタリアのグビオ峡谷のK-T境界粘土層で見出された異常に高いイリジウム濃度(イリジウム・スパイク)である。イリジウム・スパイクはグビオばかりでなく、遠隔地のK-T境界でも認められた。イリジウムは白金族の元素であるが、鉄とともに地球の芯の部分に分布し地殻内にはほとんど存在しない。一方、隕石中には高濃度で存在する。そこでK-T境界のイリジウム・スパイクは隕石由来と推察したわけである。K-T境界におけるイリジウム濃度と地球表面積から推定されるイリジウムの総量は約20万トン。隕石の平均密度とイリジウム含有率から逆算すると、これだけのイリジウムをもたらす隕石の直径は約10km、形成されるクレーターは直径約200kmと計算される。好奇心旺盛な物理学者による見事な推計というしかない。
さて、東京大学大学院新領域創成科学研究科の松井孝典教授率いる研究班が世界で初めてキューバにおけるK-T境界の調査研究に乗り出したのは1998年のことだ。惑星科学が専門である松井教授がキューバの地層を研究対象としたのは、巨大隕石衝突によって生じた巨大津波の痕跡を調べるためである。同教授によれば、キューバのK-T境界には他の地域では見られない特徴がある。それは粘土層の圧倒的な厚さだ。通常1cmほどしかないものが、キューバでは180mから500mに及ぶというのだ(通常の実に5万倍の厚さ!)。しかも地層が横倒しになっており、分厚いK-T境界が地上に露出しているというのである。

この豊かなK-T境界粘土層がキューバ葉巻の味と香りを生み出しているのではないか。もしそうだとすれば、良質な葉の産地がキューバ国内でも一定の地域に偏在している理由が説明しやすくなるだろう。実際、最高級の葉の産地として名高いPinar del Rio地区では、厚さ500mを超える、世界で最も厚いK-T境界粘土層が露出しているという。

K-T境界には、前述のイリジウム(Ir)の他にも、ニッケル(Ni)、コバルト(Co)、クロム(Cr)、砒素(As)、アンチモン(Sb)、セレン(Se)が高濃度に集積していることが知られている。したがって、もしこの仮説(キューバ葉巻のK-T境界衝突仮説と呼ぼう)が正しいとすれば、これらの微量元素のいずれかが旨い葉の生育に貢献していることになるだろう。こんなこと、ありうるだろうか? Ni、Co、Cr、As、Seが生体機能に欠かせない必須元素であることは確立されている。蘇鉄やほうれん草のように根から吸収された微量元素(Fe)が葉の色彩や味わいを豊かにする場合もある。しかし、葉巻の香味形成における微量元素の役割は不明だ。そこで・・・。「キューバ葉巻のK-T境界衝突仮説」を検証するために、次のような実験計画を立案した。

「キューバ葉巻のK-T境界衝突仮説」を検証するための実験計画」
【実験1】世界各地のK-T境界粘土層を集めて得た土を用いて、キューバ、ドミニカ、ジャマイカ、ヴェネズエラ、ホンデュラス、ニカラグア、エクアドル、メキシコ、フィリピンの気候のもとで、同一種(クリオーリョでもコロホでもH2000でもよい)を栽培し、熟成させ、葉巻を作る。それらを吸って、キューバの味と香りが再現されるか否かを検討する。再現されれば、仮説は支持される。
【実験2】同一種をキューバ、ドミニカ、ジャマイカ、ヴェネズエラ、ホンデュラス、ニカラグア、エクアドル、メキシコ、フィリピンで栽培し、熟成させ、葉巻を作る。それらを吸って味と香りを比較した後、原子吸光法を用いて灰の微量元素分析を行なう。キューバ産葉巻の灰がIr、Ni、Co、Cr、As、Sb、Seのいずれかにおいて高値を示せば、それが味と香りの秘密の候補になる。
【実験3】ドミニカ、ジャマイカ、ヴェネズエラ、ホンデュラス、ニカラグア、エクアドル、メキシコ、フィリピンのそれぞれの土壌に実験2で得た候補元素を添加した土で、同一種を栽培し、熟成させ、葉巻を作る。それらを吸って、キューバの味と香りが再現されるか否かを検討する。再現されたものがあれば、添加した元素が味と香りの秘密である。

K-T 境界衝突:隕石落下地点(図中の赤い点)

これらの実験を行なうだけの金と時間と情熱のある方はいないだろうか?もしいたら、是非実験に取り組んでほしい。私も葉巻を吸う役の一人として実験に協力する用意がある。

地図帳を開いて見てみよう。キューバはK-T境界衝突のゼロ地点から目と鼻の先にある。この地理的幸運と地層が横倒しになるというプレートテクトニクス的幸運とが重なってこの味と香りが生まれたとするならば、われわれハバナ愛好家は6500万年前に絶滅したアンモナイトや恐竜たちに深く感謝しなければならないだろう。分厚いK-T境界粘土層は、彼らの絶滅の代償としてキューバの大地に残されたのだから・・・。