Smoke in Gotanda – Part 3

gotandapart3_2仕事の帰り、どんなバーや飲み屋よりもここでのCigarの一服は疲れがとれる。 別にシガーバーでもなんでもない普通の煙草屋なのだが、椅子が一つあって灰皿 があるだけの、ここは魅力的な場所。
いつもの通り、ウォークイン・ヒュミドールから、ラ・エミネンシアのチャーチ ルを持って所定の椅子に私は座る。と同時にコーヒーが差し出され、また長居の 準備がととのった。

「このCigarはロメジュリのチャーチルサイズよりうまいですよ。」
と私はテーブルに数本ならべて言うと、主人はそんなことはないといった面持ち で、奥からリングの無いCigarを取りだしてきた。
「プリンス・オブ・ウェールズだけど、これちょっと不良品なんですよ。」
主人はすぐに火をつけた。
Cigarの不良品とはどういうものか興味があった。どこが不良品なのだろう。
「フェイクですか?」
「いや、これですよ」
主人は、Cigarを持った指を一本離した。穴があいている。虫食いだった。主人 は空気がもれないように指で押さえていたのだ。そのしぐさがなんとも愛嬌があ った。
「これなんか、まだましな方、こっちのはしっかり穴があいている。真ん中の方 だから全然吸えない。」
Cigarの葉を食べる虫とはずいぶん贅沢な虫だ。虫にも銘柄の好みがあるのだろ うか。ロメジュリ喰い虫、モンテ虫、コイバ虫、なんかいるわけないか。
「もうひとつ不良品があるんですが、見てみます?」
興味をそそる主人の物言いだ。私は見てみたくてたまらなかった。
ところが出てきたのは、なんともすさまじい色をしたCigarだった。三日月のよ うに湾曲している形に私は思わず笑ってしまった。
「水にぬらしてしまったんですよ。それをすぐ乾かした。」
その姿はあまりに悲惨だった。金色のリングがなければ、まるで干からびたあら びきソーセージだ。私はそのCigarに哀れをもよしながらも、再びその湾曲した 形を見て笑ってしまった。
「試してみますか?こういう品だから、ケチつけないでくださいよ。」
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私はCigarにケチをつけたことなんかない。どんなCigarでもよいところがあるも のだ。と、主人の言い方が気にいらなかったけれど、エミネンシアに火をつける のはひとまずよして、その三日月型ロメジュリチャーチルに火をつけた。
一吸いして煙を吐くと、味もそっけもない。なんだこれ、と思いながら横目で主 人を見ると、じっとこちらの様子をうかがっている。緊張してまた一吸い、また 一吸い。どうしても香りがしなかった。何か言おうと思っても言葉が出ない。長 い沈黙が続いた。
すると次の瞬間、じわーとあのキューバの香りがしてきたのだ。
「んー、うまい…」
「そうでしょ!」
「くさってもキューバとは、このことなんですねぇ」
主人は笑っていた。曲ったCigarと穴のあいたCigarを二人でふかしている風景は なんとも滑稽であった。
「ああ、どうもご苦労さまです。」
主人は急に立ち上がった。振り返ると、一人のサラリーマン風の中年男性が入っ てきた。
「どうもいろいろありがとうございました。ようやく残務整理が終わりまし た。」
「そうですか。たいへんだったですね。まあお掛けください。」
私は二人の間に挟まれ、小さく足を引っ込めた。でも湾曲した大きなCigarは引 っ込めようがなく二人の間に突き出したままだった。
「それにしてもおたくの社長さんはひどい人だ。」
主人は怒ったように言う。
「そうおっしゃらないでください。私どもも悪いのですから。」
「そんなことはないでしょ。」
どうやらその男性の勤めていた会社が倒産して、東京から撤退するらしい。彼は 経理をやっていたようだ。
「では、これで。近くに来ましたら必ず寄らせていただきます。」
私は湾曲したCigarをくわえたまま、軽く会釈をした。その男性の後ろ姿は一つ の仕事をやり終えたという充実感にみなぎてはいるが、かすかに肩の方に悲壮感 がただよっていた。
その男生と入れ替わるように、一人の女性客がきた。店に入った途端、携帯電話 が鳴りだした。
「彼女は縛りが専門なのよ。そうじゃなくて縛られる方…」
髪はピンク、超ミニスカートのベージュのスーツ、高い黒のハイヒールを履いた 妖艶でものすごく美人だ。やけにテンションが高く元気がいい。店じゅうその女 性のフェロモンでいっぱいになった。主人の飼っている柴犬のベルがそわそわし 出した。今にも飛びつかんとしている。主人はあわてて鎖につないだ。
「だめなんですよ、こいつは。この人をみると抱きついてしまうんですよ。雌だ というのに。私のかわりに。」
「忠犬なんですねぇ」
とくだらない冗談をオジサン二人が言う。
「ちょっと、電源かしてくださる?この携帯もうもう持たなくて…」
彼女はバッグからアダプターを取りだした。
「あ、葉巻吸ってるう。私も持ってますよ、これ。」
ドン・トーマスのリングが見える。
「これは、日本じゃ手に入りませんよ。アメリカでしか。」
と主人。
「いいやつですよ。」
「へえー、そうなの。一日に何本もスパスパ吸っちゃって、もうなくなちゃっ た。もっと大事に吸えばよかった。もらいもんだけどね。」
いったいどういう状況で彼女はCigarを吸うのか想像してみた。しかしそれは想 像を絶するものだった。
「どうです、コーヒーでも飲んでいきませんか?」
「いただこうかしら。」
充電をしている間もケータイはひっきりなしに鳴っていた。
「あ、どうもはじめまして。あなたはMのほうだったわね。」
彼女の職業はあきらかだったが、面とむかってそれは聞けなかった。しかし私は 思い出した。彼女は先日、嗅ぎたばこを1ケースを買って行った女性だと。
「もー、忙しくって忙しくって、長野から通うのはたいへんよ。」
「長野から五反田までですか。それはたいへんだ。」
と私。
「長野にあたしの娘がいるの。中学2年の。だからしようがない。」
「私の娘とおんなじだ。むづかしい年ごろですね。」
「そう。でも母親がこんなんだから、ほんとにしっかりして、あたしの方が説教 されるのよ。」
「親は多少ぐれていたほうが子供はしっかりするんじゃないですか。」
子供の教育談義に妙に盛り上がってしまった。
「この間、家庭訪問があって、買い物で遅れそうになってバイクでとばしたんだ けど、先生は家で娘と待ってるの。だから着替えるひまがなくて、足とか背中に している刺青が先生にばれちゃった。」
いや、やっぱり話についていけなくなった。
「すごいキレイなのよ、あたしの刺青。見てみる?」
私は主人の方を見た。主人はCigarをくわえながら、ニコニコしている。
「ぜひ拝見してみたいものですな。」
彼女は通りから見えないように隠れ、スーツの上着をたくしあげ、恥ずかしげも なく、惜しげもなく背中に彫られた刺青をあらわにした。天使が墨で下絵のよう に描かれてあった。その迫力に私は唖然としてながめいってしまった。
「あたしそろそろ行かなくっちゃ。これとこれくださいね。」
彼女は、バニラ臭が強烈なバックウッズ5袋とキャメルを買って行った。
「充電ありがとう。またくるわ。」
フェロモンの嵐が過ぎ去って、急に店は静かになった。主人も私も黙ってCigar を吸っている。
ため息をつくように、主人は大きく煙を吐いて、灰を落とした。つられて私も長 くなった灰を落とした。その灰はやはり湾曲していた。

Posted: April 9th, 2000   |   Category: 葉巻な場所