Smoke in Gotanda – Part 4

gotandapart4_1寒い冬の日、今日もまた Nomura Tobacco Shop へ出かける。五反田駅に向かって帰宅を急ぐ人々の群れに逆らって、一路あのCigarの香りを目指す。信号待ちの横断歩道でふと考える。さて今日はどんなシガースモーカーがいるだろう、と。

「やあ、いらっしゃい。」主人のいつもと変わらぬ笑顔。そしていつもと変わらぬ二 人の先客。一人のシガースモーカーは紳士然として髭がよく似合い、今日はマカヌー ドのコロナスをやっている。私と会えたことがほんとに嬉しくて満面に笑みを浮かべ ている。歳はけっこう離れているのになぜか気が合う。
「やっぱり来るんじゃないかと思いましたよ。」
「私もいるんじゃないかと思いましたよ。」

もう一人のシガースモーカーは、相変わらず太めのCigarを太めの恰幅で吸っていた。 でも今日はモンテクリストではないコイーバだ。少し金回りがよくなったのだろうか 。 「またいるのか。」
「またきたのか。」
といった顔をお互いにしながら、「あなたにまた会えて、こんな嬉しいことはない」 といった、言葉にならない無言の言葉を横目遣いにお互いに交わす。別に反目してい るわけではないのだが、彼とは人生観が違うのだ。といってもCigarの煙がお互いの間 に流れ、人生のある一時を共有してしまうのだが。
私はショーケースの扉を開け、Quinteroを一本出して、さあどこの椅子に座ろうかな と見回す。すかさず気配りのご主人は席を立ち私に椅子をすすめる。

gotandapart4_3ところでこの Nomura Tobacco Shop は新装して隅から隅まで新しく様変わりしてしまったのだ。以前から話は聞いていて、新しくなってしまったら気楽にCigarを楽しめなくなってしまうのではないかと一抹の不安があったのだが、いざ新装開店してみると、ショーケースと床や天井が新しくなっただけで、主人はもとのまま。以前と何も変わることなくコーヒーをすすめてくれるのだ。それに椅子だってもとのまま。がたつきがあって決して座り心地がいいとは言えないが、この椅子に座ると妙に落ち着いてしまう。テーブルもどこから持ってきたのか知らないがちゃんとある。古ぼけてアルミフレームが錆びたキャスター付きのやつが。真新しさの真ん中で異様な存在感をしめしている。
「ちょっとこのワゴンなんとかなんないの?」
と、店の手伝いに来ていたナードな若者が言う。しかし主人はこのテーブルを大層気 に入っている様子だ。何を言われても、頑として棄てることはしないと固い決意のほ どがその顔から伺われる。言葉には出さない主人の、その強靱な頑固さがこの店を支 えているのだなぁと、私は妙に納得してしまうのだった。骨董品とはほど遠いしろも のだが、実に Nomura Tobacco Shop らしいテーブルである。どこでも人のいるところへ、コーヒーと灰皿を載せて動き回る。下のカゴにウイスキーの小瓶のようなものが入っていた。
「あ、いいものがあるじゃない。」
とマカヌード・コロナスの紳士がニッコリ笑って言う。
「これはライターですよ。」
私は手に取って火を点けてみた。ちゃんと点く。子供の頃に品川か蒲田あたりの繁華 街で見たようなしろものだ。妙に懐かしい。
「それよりもこっちのほんものがいいですよ。」
主人はCigarのショーケースの中から、ハバナ・クラブを出してきた。私と紳士はにやけてその瓶を視線で追う。しかしコイーバ氏は、いつもマニアックな70年代のジャガーで乗りつけて来ているものだから、知らん顔を決め込んでいた。
「もらいもんで。よかったらどうぞ。」
Cigarとハバナ・クラブとは。これを持ってきた者は何と「通」で奇特な人物なのだろ う。私は「越之寒梅」と白い文字の書かれてあるコップを持って、主人に注いでもら う。
「あ、もうそのくらいで。」
「まあまあ、ま。」
主人はぶっきらぼうに山賊の頭のように、思いっきり注ぐ。私は一口飲んで、Cigarを一吸いする。この二つがあれば旅の行き着く先はいつでもハバナだ。キューバよ永遠なれ!と私は心の中で叫ばずにはいられなかった。皆満足そうな顔をして黙ってCigarを吸っている。二人の若い女性客がにぎやかに入ってきた。
「なぁーにぃ、このアンニュイな雰囲気はー!」
若いくせに妙に迫力のある女性だ。
「なんだか外国みたい。ニューヨークのダウンタウンみたい。」
その若い女性はずかずかと入ってきて我々の顔をじっと見た。何と失礼な女だと思ったが、ちょっと可愛いので許してやろう。
「ねえ、あたしにも吸わして?いいでしょ。」
おいおいちょっと待って、それは無いだろう。と皆唖然としているスキに、マカヌードを取り上げ、彼女は口にくわえた。
「んー、美味しい。とっても甘い。こっちのは?」
「何すんねん!」とコイーバは言った。
「いいじゃないの。太くて美味しそう。おじさんもだけど。」
「ほっとけ!そんなもん。」
聞くと彼女は雑誌編集者だということだ。この押しの強さは編集者にふさわしい。一人、今度はやつれた顔をした青年サラリーマンが入ってきた。いつもの顔なじみ。よっぽどハードな仕事をしてきたのだろう。へとへとになってここ Nomura Tobacco Shop にたどり着いたといった風だ。彼は私を見て軽く会釈する。ショーケースの前に立って、今日は何にしようか物色している。
「このQuinteroなかなかいいですよ。」と私。
「ああそうですか。でも今日はこっちにしておきます。」
モンテクリストNo.5の箱から一本取り出し、立ったままで手慣れた手つきでシガーカ ッターでヘッドをカットする。椅子は奥の方にある。バーナーガスライターで遠目に 火を点け、とりあえず立ったまま一服。
「今日の仕事は相当ハードだったようですね。」
「いやそんなことはないのですが、ちょっとありまして。」
意味深なもの言いだ。気になる。
「あたしたち帰るから、お騒がせしました。」
「帰りなはれ、帰りなはれ。」
女性客はいなくなり、再び Nomura Tobacco Shop は男達だけのアンニュイな雰囲気に戻っていった。それぞれ違うCigarをふかし、向かい合っても別に話すことは何もない。それでもCigarという共通の紫煙で無言の言葉をお互い交わす。
「そろそろ行きますかな。じゃっ、ご主人。」と、マカヌードの紳士は腰を持ち上げ た。
「いいじゃないですか、ゆっくりして行ってくださいよ。」
と言われ、また腰を下ろしてしまう。主人にそう言われると誰もが「それじゃ、もう 少しいるかぁ。」という気になってしまうのだ。この椅子には強烈な引力がある。 それでも何とか振り切って、再会を約し紳士は帰って行った。続いて、コイーバの御仁が帰ろうかという素振りを見せる。しかし主人は別に引き止めることもしなかった。 Nomura Tobacco Shop には三人だけとなった。ナードな若者ももういない。 私は先ほどの言葉が気になって、隣の青年サラリーマンに尋ねた。
「どうしたんですか。何かあったんですか?」
「えっ?……」
彼は、大きくCigarの煙を吐いた。一息おいて、話そうか話すまいか逡巡しているよう であった。私も主人も黙って、固唾をのんで話し出すのを待っている。
「実は…20年ぶりに母親と会ったんですよ。」
なんと、Cigarのフルボディのような話ではないか。
「僕がまだ小学生のころ両親は別れたんですよ。私は父親に引き取られました。母は すぐに再婚しましたよ。父はしませんでした。悲しくもなかったですね。よくわから なかったですよ。何が起きたのか。明日から母とはもう会えないんだなぁと、そのこ とだけがはっきりとわかりました。その母が昨日上京してきて、僕のアパートに泊ま って行ったんですよ。とても元気そうでした。一生懸命あやまっていましたけど、何 をあやまるのかわからなかった。他人のようでした。母という感覚を僕が忘れてしま ったのか、実の母親なのに、母とは思えなかった。
子供心に、母が出て行く姿はとてつもなくショックな出来事だったのかもしれません 。涙すら出ないほどの。」
私は何度も灰を落としながら、言葉を探す。だけど、慰めたり励ましたりするのは何 と愚かなことかと思う。私は彼といっしょにCigarを吸うことしかできなかった。
「葉巻をやりながらでないとこんな重い話はできませんね。」
と、主人は煙に巻くように言ったが、その通り、運命なんてやつはこのCigarの煙にそ っくりだ。Cigarを吸っている間、その煙をながめていよう。

Posted: December 9th, 2003   |   Category: 葉巻な場所