葉巻でもはじめてみだら?

essay9912という妻の言葉にのってしまい、鎌倉の紀伊国屋でドライ・シガー「キング・エ ドワード」を1本買った。おそらく、私にすすめたのは妻自身も葉巻を吸ってみ たいと思ったからだろう。私は紙巻煙草を長年吸っていた。しかし中国茶を飲み ながらいつの間にか止めてしまった。禁煙期間はすでに10年が経っていた。煙草 に対する免疫、蓄積したニコチンなどほとんど消えているだろう。だから煙草を 吸うことに少しばかり抵抗もあり不安もあった。でも葉巻は紙巻煙草とは全然違 うものだという思いこみもあり、新しい世界が開けるのではと期待しつつ、私は それに火をつけた。紫煙の向こうに、遠い思い出がよみがえる。

私の記憶の中では、これが葉巻を吸うことの初めての体験ではなかった。20歳の ころ、私は葉巻がとても好きだったのだ。何もおそれるものはなく、太くて大き な葉巻をくわえて、私は町を闊歩していた。

20歳といえどもまだまだ子供。大人 になって1週間というほどの、生まれたて新鮮とりたての青年にすぎなかった。 そんな奴が臆面もなくBig Fatの葉巻を人前でふかしていたのだから、若気の至 り、厚顔無恥とはこのこと。
「オールド・ポート」。私が吸っていた葉巻の名である。この葉巻は日本のある 小説家が若いころ吸っていたと聞いたことがある。当時、プレミアム・シガーな ど町のたばこ屋に置いてあるわけはなく、ドライ・シガーの「オールド・ポー ト」は値段も安く、とは言っても紙巻よりははるかに高いが、ちょっとした煙草 屋ならどこにでもおいてあった。葉巻の雰囲気を少しは堪能できるものだ。それ でもこの葉巻は、見た目では貫録は充分そなわっている。吸っている人間もとも かくとして。

私はガールフレンドと、クリスマスの日、麻布のバーにでかけた。シガー・バー ではない。当時、そんな粋な場所があったかどうか知らない。普通のバーであ る。私たちは薄暗いカウンターの隅の席に落ち着き、スコッチ・ウイスキーのロ ックをたのんだ。そして、おもむろに「オールド・ポート」を取りだし、口にく わえ、ライターをポケットから取り出そうとした。すると、カウンターの中の髭 面のバーテンダーがすかさず、長いマッチで、私の葉巻に火をつけてくれたので ある。私は一瞬驚いた。その時、私はたちまち大人の仲間入りをしたのだ。気分 が高揚した。長いマッチは葉巻専用のマッチだった。
「いい香りの葉巻ですね。」
と、バーテンダーは言った。私が吸っているこの葉巻はそんなにいいものかと、 自尊心はますます高まる。生意気を絵に描いた風景がそこにはあった。 いい香りというのは添加物の香料のせいだろう。きっとこの葉巻にはキューバ産 の砂糖が入っていたに違いない。葉巻は紙巻煙草よりはるかに大人の気分にさせ る。一吸いするたびに、葉巻は人生の苦さ甘さ深さを知った大人の世界へといざ なう。でもそれは気分だけ。
その後、ガールフレンドは私が葉巻臭いせいからかどうか知らないが、私から別 れて行った。さよならの言葉もないままに。葉巻を吸い終わったあとで、私は人 生の苦さを知ったのである。

あれから25年の歳月がすぎた。いつの間にか私は人生の意味すらもわかりかける 年になってしまった。今、妻はコイーバ・パナテラをふかしている。満足そうな 目をしてこちらを見返す。私は短くなったラ・エミネンシア・ピラミッドを灰皿 に置いて、窓の外の午後の日差しをながめやった。

Posted: December 5th, 1999   |   Category: 葉巻なエッセイ